創業以来、移り変わる時代の変遷に機敏に対応し、ただひたすらに皆様のビジネス円滑化に貢献

  • 創業 1916

    株式会社文方社の歴史は大正5年、カタログ印刷の専門工場として始まる。特に写真印刷の技術には他に追随を許さないものがあり、トヨタ系各社、大隈鉄工所(現オークマ株式会社)や日本楽器製造(現ヤマハ株式会社)など多くの企業から絶大な信頼を得ていた。創業者の鶴見信治は印刷の仕上がりに並々ならぬこだわりを持ち、納得がいくまで何度も刷り直しを行なった。時として採算を度外視し、最高の技術を保持する文方社の風潮はこの時より始まり、今も引き継がれている。

  • 発展期 1934

    創業者の後を受け、会社発展に大きく貢献した鶴見銓吉は名古屋市立工芸高等学校出身で松坂屋のポスターデザイン公募に入選するなど、営業や経営よりむしろデザインや印刷技術に興味があった。しかし、学校卒業後、文方社に入社した銓吉を当時の社長であった父・信治は営業職に就かせた。これは銓吉の印刷技術に対する並々ならぬ情熱と新しもの好きという性分が会社経営に必ず役に立つということを見越してのことであった。

  • 復興期 1941

    戦時中、一時文方社は大隈鉄工所に吸収されていた。しかし、これは鶴見家と大隈家の親密な付き合いがあった上、戦争の混乱や様々な軍事的圧力から当時「平和産業」と揶揄された文方社を守るための措置であった(大隈鉄工所は当時軍需産業として軍との密接な関係があった)。戦後、銓吉はすぐに文方社再建のために動き出す。これは戦争によって印刷会社が減少した状況の中でいち早く印刷を再開させることが大きな利益をもたらすと踏んだからであった。結果、戦後は印刷の仕事が激増。また、超インフレによる物価の上昇も手伝い、戦前よりストックしていた印刷用紙も他の印刷会社に高い値段で販売することもできた。これにより、会社再建に要した借金もすぐに返すことができた。昭和24年には社名を株式会社文方社へと変更。銓吉は代表取締役に就任した。

  • 続く